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ちょっと変わったところからの地図

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この地図は他とは少し違うところから引用しています。 普通の地図ではなくある論文からの引用です。  この論文は、Sriracha地区の植物の状況について調査されたものですが、この鉄道についても記述があります。 この植物の調査は鉄道に沿って実施されたようですが、この時点ですでに主だった線路は未舗装道路になっていたようです。 。 植物の植生を示す図の中に線路が描かれており、Nong Kho分岐付近が示されています。 線路の記述そのものはたいした内容ではないですが、森林伐採と鉄道の関連や、その後の鉄道および付近の環境変化については興味深い情報があります。 製材所が森林伐採を放棄した1970年後半には、すっかり森林や野生植物は少なくなり畑や市街化が進んだ様子がわかります。 本文中では線路がKhao Khieo山とKhao Chomphu山の間を通っていることが描かれています。その部分を引用すると(筆…

駅のあった場所

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(作成中) 駅のあった場所についてです 7つの駅が存在しました。 Konruksrirachaが発行した Konruksriracha Calender 2019の情報などを元に、現在の地名から推測しています。 (Sriracha駅のみほぼ場所は特定しています) 駅名とその由来等は以下のとおり。 (1) Sriracha Station 製材所の裏、約50mほどのところ。(筆者注: 写真の2本並んだ煙突の位置と大きな木の位置、および線路の位置関係から推定すると、Sukumwit通りに近い位置と思われます ※ Calender Mayの写真 (2) Cherm Station  เจิม 公式にはNong Yai Bu 駅。もともとの地名から命名。のちに改められた。 Chermとは祈願というような意味。 具体的な駅の場所は今のところ不明。Wat Khruea Satthatham あたりか? (古くからあるお寺なので、このあたりかという予想。明確な根拠なし) (3) Chom Phon Sta…

地図に関して

”地図でたどる線路の変遷” で調べたことからわかったことなど <地図に関して> 今回色々と調べて行く中でiさまざまな地図や航空写真を探し出して、線路が引かれていたところの変遷を辿っていきました。 結局のところ、地図を古いものから新しいものへと辿っていくだけでは、線路がどのように延伸されていったのかわかりませんでした。 年代を追って地図を追っていけば、線路の延伸の経緯がわかると考えたのですが、だめでした。 その原因のひとつは地図のアップデートが期待したほど頻繁でなく、タイムリーに実際を反映したものではないということでした。 当時の地図の編纂というのが、従来の地図の焼き直しであったり、過去の地図を元に若干の編集を加えただけで、新たな地図として発行されることが多かったようです。 必ずしも最新の情報を反映させて、毎回新たに地図を編纂・発行するというわけではないということです。 航空測量が確立されていなかった当時の地図の測量・編纂についての書籍を読むと、地図作成のための測量や編纂作業というのは…

1968編纂 Topologic chart (1984改定)   路線が分断された時期があった?

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この地図はちょっと悩ましい。 1968年の編纂された地図に、1984年に航空関連の情報を加えて改定されたもの。 線路は、Nong Kho分岐の先で本線+東支線と北東支線の2つの路線に分断されています。 素直に解釈(推定)すれば、本線+東支線は、細々と続けられていた木材輸送等に使われ、東北支線のほうはChonburi Sugar Millのサトウキビ運搬に使われていたということかと思われます。 地図が編纂された1968年の少し前の時期には、こういった状況に線路は置かれていたのかもしれません。 ただし、同じような時期に編纂されたと思われる他の地図では、このような分断状態は示されておらず、実際にこのような状況があったのかもう少し情報が必要です 1970年に発行されたタイの公文書*に書かれている地図では分断されていません

SRJ No.5 の写真??

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Bar kley & Andrew 製のSRJ No5.と思われる写真が見つかりました。  Srimaharacha Companyに来る前の、ボルネオのLabuan島の炭鉱で使われていた頃の写真(絵葉書)と思われます。 はっきりとはNo.5とはわからないのですが、以下のような理由から、おそらくSRJ No.5であると考えています。 SRJ No.5は1904年頃から1911年頃まで、Labuan等の炭鉱で使われていた(1915年ころまでLabuan等に置かれていたらしい) @@ソース Labuan等で使われていた機関車は4台あり、そのうちの1台がBarkley & Andrew製であった@@ソース。 ちなみに残りの3台は、SRJ No.8、No.9、そして No.3である@@ソース 絵葉書の説明によると1900年ごろの写真であるこt0お 写真の機関車と、Srimaharacha Companyで1993年頃放置されていたSRJ No.5の写真(Railasiaより)を比較すると…

SRJ No. 12 別の写真

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SRJ No.12 PattayaのJomtianビーチ付近に置かれていたSRJ No.12. リサイクルセンターで撮影されたもの。 撮影時期は不明ですが、ペイントが綺麗な状態です。 2012年までにRayongの博物館に売却されたとも。 その後の消息は不明。 2008年頃博物館から消えたという別の情報もあり、保管されていた経緯についても不明点が多い Quoted from Michael Pass info.

行方不明のNo.12

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Pattayaの博物館に保管されていたNo. 12の写真(と思われます) 2008年に撮影されたもの(Wikimediaより引用) 撮影場所がPattayaのJomtian であり、No.12が展示されていた陸軍の博物館の場所と同じと考えられます。 2012年以降、所在不明。 同じ時期?と思われる写真が見つかっています。著作権の関係があるので、OKがでたら紹介したいと思います。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Steam_locomotive_-_panoramio_-_harryhenri.jpg