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地図に関して

CCC -

”地図でたどる線路の変遷” で調べたことからわかったことなど


<地図に関して>

今回色々と調べて行く中でiさまざまな地図や航空写真を探し出して、線路が引かれていたところの変遷を辿っていきました。

結局のところ、地図を古いものから新しいものへと辿っていくだけでは、線路がどのように延伸されていったのかわかりませんでした。
年代を追って地図を追っていけば、線路の延伸の経緯がわかると考えたのですが、だめでした。

その原因のひとつは地図のアップデートが期待したほど頻繁でなく、タイムリーに実際を反映したものではないということでした。
当時の地図の編纂というのが、従来の地図の焼き直しであったり、過去の地図を元に若干の編集を加えただけで、新たな地図として発行されることが多かったようです。
必ずしも最新の情報を反映させて、毎回新たに地図を編纂・発行するというわけではないということです。

航空測量が確立されていなかった当時の地図の測量・編纂についての書籍を読むと、地図作成のための測量や編纂作業というのはそんなに簡単ではないことがわかりました。
地図の編纂は国家事業であったり、軍事的な背景がないとなかなか進めることができないのであったようです。
近代的な測量が行われ始めたのは1800年代の終わり頃のことであり、航空測量が進められるのは1920年代以降のことでした。

今回紹介している地図のうち、1920年代頃から1950年代にかけてのものは旧日本軍が編纂していた「外邦図」であるか、それを元にタイ国あるいはアメリカ軍が追加測量して改定され、まとめられたものがほとんどです。
外邦図自身も20世紀初頭のフランス、イギリスの地図の情報や、タイ国自身が編纂した5万分の1地図などをもとに、旧日本軍独自の測量結果を加えて編纂されたものです。


地図の変遷を見て行くと、1920年代に測量されたものは精度に欠けていることが見てとれます。当時はおおっぴらに軍隊が他国で測量することが難しく、歩測と地形のスケッチで地図を作成していた地域もあったようです。そのため精度が得られなかったようです。

その後になると、測量器具も整備され、航空機の発達とともに航空測量も行われるようになりました。地上でも地図の起点となる三角点の整備が進んだことで、だんだんと精度が上がってきたようです。
第2時大戦後はアメリカ軍がタイに進駐したこともあり、近代的な手法での地図作成が進められたと考えられます。




今ではGoogle mapなどによって衛星画像が手軽に見られるようになり、線路の伸びていた地域の地形や、それらの現在の状況が簡単に見られるようになりました。これらによって、かつて線路だったところの殆どが、現在は道路になっていることが確認できます。

また、地図や文献についても、インターネットでアーカイブを検索することで見ることができたものがたくさんあります。
タイの古い文献などもオンラインで検索閲覧することで、当時の社会、経済、政治のバックグラウンドの情報を取り入れながら調べることができました。森林伐採に関する利権であるとか、伐採する木の種類や用途など情報が得られました。
製糖業と森林開発の事業の盛衰と森林鉄道の拡大と消滅は切っても切り離せないものです。

このインターネットの便利さがなければ、この鉄道の痕跡をたどる調査もなかったかと思います。

  • ブログの投稿者: CCC
  • タイトル: 地図に関して
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