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Koh Loyから木材が海運輸送されていたころ
 (シラチャ周辺の港湾施設と海上輸送について) koh Si Chang

CCC -

Srimaharacha Companyで生産された木材等は、Koh Loy島で鉄道から船に積み替えられて輸送されていました。 しかし、Koh Loyの埠頭から直接輸出されたり、タイ国内の目的地に運ばれていたりしていたわけではありませんでした。

シラチャ付近の沿岸は潮の満ち引きも大きく、大型船の吃水では座礁の恐れのある浅い海域だったため、Koh Loyの埠頭には大型の貨物船が接岸することができず、ここから消費地であるバンコクに運ぶことができなかったのです。

バンコク港やタイ各地の港に運ばれる貨物は、一旦Koh Loyの埠頭で小型の船舶・艀に載せられ、シラチャ沖にあるKoh Sichang沖・港まで運ばれました。そこで比較的大きな蒸気船、帆船に再び積み替えられてから各地に運ばれていました。

ここでは、シラチャからの木材輸送だけでなく、タイの海運・貿易について重要な役割を果たしていたKoh Sichang島と、その周辺について記します。


koh Si Chang
Koh Sichang (シーチャン島)の位置
Gurl of Thailand near Koh Sichang
右下の小さい島がKoh Sichang(シーチャン島)その対岸がSriracha。1934発行の地図より
Prachuap Khiri Khan to Ko Chuang, HO3136. May 1964, USNS General Edwin D. Patrick Collection, Vietnam Center and Sam Johnson Vietnam Archive, Texas Tech University, https://www.vietnam.ttu.edu/virtualarchive/items.php?item=HO3136.
koh Si Chang
Koh Sichang島、およびシラチャ沿岸周辺の拡大図
Sriracha Companyの線路が書かれています。 上述と同じ1934年発行の海図より
koh Si Chang
Sriracha Companyの製材所からのKoh Loyへ延びる埠頭に敷かれた鉄道から小型の貨物船に積み替えられました。
この後、Koh Sichangに向かい、艀に積み替えられてBangkok等に運ばれました。 1939年頃?。

koh Si Chang
シラチャ側のKoh Loyの埠頭の先端部(1939年頃か)
このあたりの海は浅いため、写真にあるような小さな貨物船にいったん乗せられました
埠頭の先に小さなクレーンがありますね。



Koh Sichangの役割


1918年当時、Koh Sichang島には、比較的大型の船が停泊できる海域があり、シラチャほかの周辺地域との間の輸送において大型船と小型船の積み替え港として使われていました。
この積み替えがおこなわれていたのは、当時タイの主要港であったバンコク港に入れる船舶の制限があったためでした。
河口近くにあったバンコク港は、砂州による浅瀬のために大型の外洋船が入るには制限がありました。
そのため、Koh Sichang沖で貨物を積み込む作業が行われていました。

現在でもバンコク港の輸出入貿易においては、、Koh Sichang島で艀(はしけ)や、小型の船に積み替えられて運ばれることも多くあります。(後述)

koh Si Chang
Koh Sichang沖でタグボートにひかれる艀(Barge) 
Quoted from
Cultivo de arroz en siam vistas de la molienda y Transporte,
Copenaghen Bangkok Siam - Industria della coltivazione de riso,
EAST ASIATIC COMPANY Co,. Ltd. Copenhague Y Bangkok, 1910

停泊地として

Koh Sichang島の東の海域は、台風など天候が悪い場合の避難のための停泊地としても利用されていました。
風向きによっては、現在のChonburi市のAngsila付近の Ang hin沖へも避難していました。
ただしこちらは、浅瀬が多く停泊には注意が必要でした。当時タイを訪れていた日本の軍艦「伊吹」はKoh Sichang沖に停泊したとの記録があります。

Koh Sichang島だけでなく、SrirachaやBangpra の街(村?)から燃料や食料、水などの供給を受けるために停泊していたようです。
検疫を受けるための一時停泊地としてもこの海域が利用されていました。

ちなみに、19世紀ころの地図や後述の参考文献ではKoh Sichang島はもちろんのこと、Srirachaの町も ”Si maha racha”と記載されており、Koh Loy島 も ”Si maha racha”島 として記載されています。
20世紀にはいると、今と同じようにKoh loyと記述されるようになります。(下記の地図を前掲の地図と比べてみてください)

koh Si Chang
19世紀の終わりころの地図/海図
左側の島がSichang島(Ko Sichang)。
対岸にはシラチャの町が”Si mahara cha"と書かれている。
Koh Loyは "Koh si mahara cha"と表記されており、海外から見ると”シラチャ島”ということだったようですね。
Western route to China . Chart no.3, East India Archipelago / Compiled by James F. Imray
London : Published by James Imray and Son, 89 & 102 Minories, 1882
https://nla.gov.au/nla.obj-231858459/

積み替えのハブとして

外航船(航洋船)は、Bangkok港の浅瀬の関係もあって直接入ることが難しかったため、Koh Sichang島/沖あるいはAng Hinの錨地(停泊地)で積み荷を完了させていました。当時のSichang島には税関や検疫の役所があり、係官が船に乗り込んでチェックをしたりしていました。 また、水や石炭、食糧など補給のための仕組みなどもありました。(”港湾施設の様子”の項参照)

後述しますが、この荷物の積み込み作業が現在でも続けられており、今なお行われている大型貨物船からバージ船や沿岸航路向けの貨物船への積み替え機能につながっています。


歴史的な位置づけ

古くから海外からタイを目指した船は、タイでも2番目に大きいKoh Sichang島を目印にしていたようです。

19世紀頃になると、西洋の文化が入ってきたこともあって、保養所・療養所が作られるようになってきました。
RamaⅣ国王がたびたび訪れるようになったことで、国王家族の保養所となり、1892年には正式な離宮となりました。(Phra Chuthathut Palace、チュタートゥット宮殿)。
RamaⅤ国王の王子の一人が健康に不安があったこともあり、療養のために長期に滞在していたこともあったようです。
後述するように、西洋の植民地主義の台頭によりタイと各国の対立が生じ始め、フランスがKoh Sichangを占領(パークナム事件; 1983年)するなどしました。こういった状況からSichangは王室の滞在先としては安全ではなくなったため、離宮は閉鎖・解体され、バンコクに移設されることになりました。
なお、この移設された建物は現在もBangkokのDusitにあり観光地となっています。
(Vimanmek Mansion,ウィマンメーク宮殿)


BangkokのDusit宮殿内に移設されたウィマーンメーク宮殿; พระที่นั่งวิมานเมฆ (Vimanmek Mansion)
現在は博物館として利用されいています。また、世界最大のチーク材による木造建築としても有名です.
ただし、2023現在修復中で拝観不可
Image: พระที่นั่งวิมานเมฆ เขตดุสิต กรุงเทพมหานคร (8).jpg" by กสิณธร ราชโอรส is licensed under CC BY-SA 4.0
Koh Sichang島で離宮のあった場所。8角形の基礎部分が残っている
離宮が解体された後、日本軍の補給所となったり、学校として利用されてるなどしたため埋もれていたが、Churalongkong大学などによる発掘などで発見された。
Sichang Palace 03" by Ruslik0 is licensed under CC BY-SA 4.0 .

Koh Sichang島は、19世紀のラーマ4世、ラーマ5世の治世のころ、戦略的な立地として認識されていました。 20世紀になると西洋の植民地主義の影響を受け、イギリスやフランスの脅威に対抗するために海軍基地が設置されていました。
ラオスの主権を巡るフランスとタイとの対立によって、Koh Sichang島を含むSiam湾内での砲艦による侵略が発生したり、フランス軍がタイ東部に駐留したりと言ったことが起こっていました。

港としては天然の良港であり、主要な海洋貿易のルート上にあることから、海軍の活動にも良好な場所でした。船の修理や補給などに使われていた以外にも、Koh Sichang島近くの小島のKoh Prong島には砲台も設置されていました。(現在もKoh Sichang島に渡る船から砲台跡が見れるようです)

第2次大戦中に日本軍もこの海軍基地としての役割に注目していたようで、Srirachaに民間人を装った軍人(スパイ?)を派遣したりしていたようです。(Koh Sichang島との関連は???ですが、、)

のちに海軍の拠点はSattahip港に移ったため、現在は軍港としての役割はありません。

Refer from:
Bundit, Chulasai (2005) Chudadhuj Palace, Sichang Island: Conservation for community. In: 15th ICOMOS General Assembly and International Symposium: ‘Monuments and sites in their setting - conserving cultural heritage in changing townscapes and landscapes’, 17 – 21 oct 2005, Xi'an, China. Conference or Workshop Item

港湾施設の様子(1918年頃)

上陸用の桟橋が2本ありました。一方は”Royal pier”と呼ばれています。もう一方は、Lem TaroteのHotelの近くにありました. (Lem Tarote;地図参照)
ここから上陸すると、近くに税関と警察署がありました。

koh Si Chang
警察や税関があります(赤下線)
現在もこのあたりが島の中心。Srirachaからの船もこのあたりに到着します。
(画像をクリックして拡大) 元の地図は下記の引用元参照:
https://www.vietnam.ttu.edu/virtualarchive/items.php?item=HO3143
Quoted from:
HO3143, USNS General Edwin D. Patrick Collection, Vietnam Center and Sam Johnson Vietnam Archive, Texas Tech University
https://www.vietnam.ttu.edu/virtualarchive/items.php?item=HO3143

ここでは、、事前の連絡・注文が必要ですが、燃料の石炭が補給できました。また、食料の牛肉、野菜、乾パンが補給できました。 水は若干補給できましたが飲用には適していなかったようで、当時のタイの水事情が分かるような気がします。

錨地(船の停泊地)は、Sichang島のSriracha側にあるKam yai島(Koh Kam yai)の東西南北にあります(地図参照; 錨地のエリアが海図に示されています; anchorage area)

koh Si Chang
錨地の位置(赤丸のところ) 画像をクリックして拡大
左側の島がSichang島(Koh Sichang)。 左下が Inner anchorage, 右上がOuter anchorage
これらの位置は現在でも艀(Barge)や、比較的小型の貨物船などの錨地となっています。
Quoted from:
HO3143, USNS General Edwin D. Patrick Collection, Vietnam Center and Sam Johnson Vietnam Archive, Texas Tech University
https://www.vietnam.ttu.edu/virtualarchive/items.php?item=HO3143

島の南西沖はは軍艦錨地と呼ばれていいます。ただし水深8メートルほどなのであまり大きな船舶は停泊できませんが、軍艦が錨を降ろす場所となっていたようです。貿易船も荷下ろしのためにここに錨を降ろすことがありました。

Koh Sichang島の東側にあるKam yai島には電信局があり、Sriracha側に海底ケーブルでつながっていました。この電信局を使って船舶はバンコクと通信できるようになっていました。

チョンブリ市の南西にあるLeam Sah Mukの近くにAng Hinという漁村があり、この沖にも荷物の積み替えをする錨地がありました(現在のAng Sila付近)


Refferd from: (参考文献)
海軍省水路部, and kaigunsh? suirobu. 支那海西側水路誌. 東京: 水路部, 7.
https://catalog.hathitrust.org/Record/100045965 参照

現代のKo Sichangの様子



タイの主要な貿易港の補完として

現在の航海でもシーチャン島の天然の停泊地が役立っており、レムチャバンのような近隣の主要港への入港を待つ船に安全な場所をもたらしています。島は工業や商業の中心地に近いため、船舶の待機場所として利用されています。
また、以前と同様に大型貨物船への荷物の積み替え機能も果たしています。

現在の貨物輸送におけるKoh Sichang島の状況については別項も参照のこと

● Koh Sichang周辺の港等の地図

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Koh Sichang およびSriracha周辺の港湾設備・埠頭など

貨物の積み替えハブとして

タイの最重港であるLaem Chabang港が1990年代に整備され、港での貨物の取り扱いはコンテナが中心となってきました。そのため積み替え地点としてのシーチャン島の役割は変化してきました。
以前からの積み替え需要に加えて、タイでの貨物の取り扱いの急増の背景もあって、Sriracha側の貨物埠頭の整備と合わせて、Laem Chabang港の補完としての役割も果たすようになってきました。

Lame Chabang港では取り扱いの制限のある"ばら積み"貨物であったり、Laem Chabamg港からの陸送によるコストの問題や浅瀬の制限の問題のあるバンコク港への貨物の取り扱いについては、従来通りKoh Sichang港での積み替えがおこなわれています。
最近では、Ko Sichang港の貨物取り扱いのインフラが整備されたことで、大型コンテナ船と小型船やはしけの間で貨物を積み替えることができるようになり、バルク貨物だけでなく、コンテナの取り扱いもできるようになっています。


koh Si Chang
Koh Sichang沖。シラチャ方向を望む
Koh Sichang沖に停泊した貨物船とBarge船の間で積み替え作業が行われています。
多くのBarge船が停泊しています。
Photo by Ruslik0, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

Bangkok港に向かう前に軽量化する船舶や、Bangkok港から出港した後に貨物の積み込みを完了する船舶のための積み替えといった従来から行われていた作業は、Koh Sichang島沖や積み替えターミナルで引き続き行われています。
バンコク周辺にある貿易会社・企業への貨物輸送の場合、近いBangkok港やChao Phraya河川港へバージ船で運んだほうが便利・安価であることがあるようです。このため、Koh Sichang沖でのバージ船への積み替えを行うケースも少なくありません。


koh Si Chang
Barge船の例:Chao Phraya河をタグボートにひかれていくBarge船
Koh Sichang島でBarge船に積み替えられた貨物は、Chao Phraya河口域にある河川港などに運ばれていきました。
Photo by Chao Phraya Barges" by Buzz Hoffman is licensed under CC BY-NC-SA 2.0

積み替え作業を待つために、たくさんのBarge船がKo Sichang島の北東沖を中心としたエリアに停泊しています。
さらに、Laemchabang港やSrirachaの港・埠頭での作業を待っている貨物船がKo Sichang島とSriracha・Laemchabangの間の海域に待機・停泊しています。

ちなみに、Laemchabang港で貨物のの取り扱いの場合、最大の消費地であるバンコク周辺に運ぶためには陸上・鉄道輸送が必須となります。Koh Sichang島で積み替えてバンコク港、つまりChao Phraya河川港周辺のバンコク運ぶのに比べて割高になる場合もあるため、Koh Sichangは現在でも貨物の積み替えハブとして活躍しています。 最近の貨物取扱量の急増もあって、Lamechang港の補完として、Srirachaの港とともに、その役割はまだまだ衰えず、期待されている状況にあります。

インフラが整備されたことで、最近はコンテナ貨物に限らず、バルク貨物についても、シラチャ側に近年設置された埠頭から陸上輸送でタイ国内に運ばれることも増えています。
これは、増大するタイの輸出入貨物の増加に対応するためで、Koh Shichangの積み替え機能が奪われたわけではありません。
さらに、Laem Chabang港他の近隣の主要港への入港を待つ船に安全な停泊場所としての役割も果たしています。


観光・海洋レジャー

近年、この島は海洋観光でも有名です。かつて国王の離宮・保養地となっていたことに関連する史跡や、手つかずのビーチ、海と島特有の崖の景色やビーチ、マリンスポーツが観光客を惹きつけ、地域経済に貢献しています。シラチャほかから高速船やフェリーが就航しており、多くの観光客が訪れています。

Koh Sichang島はバンコクからも日帰りでも訪れることができ、人気の観光地ともなっています。
街の南方には国王の平屋建ての離宮の跡地があり、その近くに離宮関係の博物館があります。そこから延びる桟橋はちょっとしたPhoto Spotになっています。

koh Si Chang
王室離宮跡の前に広がる海に伸びる埠頭。写真スポットとしても有名
Photo by "Phra Chuthathut Palace, Koh Si Chang" by Kriengsak Jirasirirojanakorn is licensed under CC BY-SA 4.0.
koh Si Chang
王室離宮跡には博物館があります。Churalongkon 大学の離宮後の発掘を機会に整備されました。
Photo by Anutara, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons"

海洋汚染の懸念

Koh Sichang付近は漁場としても豊かな海域になります。Srirachaももともとは小さな漁村でした。
現在も漁業はSriracha地域(Chonburi地域)の大きな産業の一つとなっています。
Koh Sichangだけではありませんが、周辺の港の機能拡大に伴って、Koh Sichang近海の海洋汚染が問題になってきています。船舶が排出するバラスト水や、オイル、生活排水などで海が汚染されています。
漁業や海洋観光への影響も少なくないと考えられており、その対策について、21世紀に入って調査や排出制限などの取り組みが始まっています。

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Koh Sichang の周辺 
(Srimaharacha (シラチャ)とBangpraの街の様子。1909-1915年ころ)


シャム湾の航路を説明する文献(Public domain)があり、そのなかに
Koh Sichangの沿岸部の航路の状況の記述とともに船舶へお物資の補給等々の記述があり、そのなかでSrirachaやBang Praの街の様子も示されています。


Koh si ma ha ra cha (Srimaharacha 島) …Koh Loy島のことです。

参考文献中には、以下のような説明が書かれています(筆者 現代語訳)

陸側から1マイル半、Sichang島の北角から、当方に6マイルのところにある、高さ約90フィートの岩礁。 Simaharachaの街から数百mの桟橋が伸びており、ここから材木を船積みしていました。

Sriracha Companyの木材が船積みされていた記述ですね。
シラチャの周辺は浅瀬が多いですが、Koh Loy付近に小型艇が停泊できるところがありました。

参考文献のこの項は、「Si ma ha ra cha」島 という表題で示されています。19世紀の地図(海図)では同様の記述がされているものがあります。 当時の実際の名称はともかく、海外から見ると「シラチャの島」という意味で早期呼ばれていたのかもしれません。シラチャ(Srimaharacha)の象徴的な存在でもあるKoh loy島ですので、こう呼ばれても当然という感じもします。
19世紀の地図ではそういった呼び方の記述もありますので、当時海運を支配していたヨーロッパ各国の呼び方がそうなっていたのかもしれません。

koh Si Chang
19世紀の終わりころの地図/海図(再掲)。 左側の島がSichang島(Koh Sichang)。
対岸にはシラチャの町が”Si mahara cha"と書かれている。
Koh Sichang沖とともに船舶の停泊地であったAnghinの地名も描かれています(右上)
Western route to China . Chart no.3, East India Archipelago / Compiled by James F. Imray
London : Published by James Imray and Son, 89 & 102 Minories, 1882
https://nla.gov.au/nla.obj-231858459/

別の文献(下記)になりますが、Koh Loyに運ばれてくる木材については、以下のような記述があります。
Sriracha Companyの製材所の様子、木材の輸送・搬出の様子、森林鉄道の路線の様子が比較的詳しく示されています。 特に、象をどのように使って木材の伐採作業をしていたかと言ところに注目です。
また、線路がどのように敷かれていたのかという記述は、ほかの文献ではあまり記述されていないところであり、非常に興味が沸きます。

参考文献: 暹羅の森林 より引用・一部要約・省略

伐採し造材したる丸太は、特設軌道までこれを牽出し、米国式地上制動機 により運材車に積載する。★ 運材軌道は主要なるものは2線を敷設し居り、ひとつは北方に、ひとつは南方に走りて1連絡駅にて遭会し、1線となってスリーラーチャの製材所に達する。牽引には機関車を用いる。しかし主線(*上述の路線)のほか数多の側線を設け、絶えずその位置を変換して搬出の便に備え、積載車を主線に押し出すには象力を利用している。★ ★スリーラーチャの当社製材所は最新の米国式装置をなし、米人斯道専門家が開業に当たりて建設組織したものである。製材は運材車にて長さ半里の防波堤に沿うて搬出し、蒸気艇に積載してバンコクに移出する。大部分はバンコクにて消費せらるるが、残余は主としてインドに積出せられる。

まとめると、

  • 伐採した木材は、特設の軌道上の貨車に積み込まれた
  • 鉄道の主線のほかに、多くの側線を作り、主線に運びやすくしていた
  • 貨車を鉄道の主線に貨車を押し出すには象の力を使った
  • 製材所には米国人の指導により米国製の設備が導入されていた。
  • 製材は貨車につまれてKoh Loyまで運ばれ、蒸気船でバンコクに運ばれた。
  • 大半はバンコクで消費されていた
  • 輸出先としてはインド(英領)があった *注; 参考文献の描かれた1930年ころの話

SrirachaとBang Praの街の様子など

先に示した参考文献には、シラチャ、およびバンプラの街に関して以下のような記述があります(筆者要約)

Simaharachaは人口約500人。
ここから3マイル(約5㎞)北方にBang praの町があり、人口はは約1000人。
これらの街には、電信局、郵便局があります。 
Bang praには海軍学校があり、Srirachaには海軍の病院があります。
Srirachaの街には比較的大きな市場があり、肉類をふくめ食料品を調達することができました。
Bang praの南には2本の枯れない清流があり、海に注いでいます。潮が高い時には、短舟を使ってこれらの清流に水を汲み行くことができますが、低潮の時には(海側からは)近寄ることができません

このころは、地域の中心はBangpraで、SrirachaはSriracha Companyが設立された後になって、創業者のSucarak Montriの政治的な力を背景にSrirachaに中心が移されるという経緯がありました。
その後、林業・製材業のSriracha Companyの拡大と、彼の政治的背景もあってSrirachaの街が大きく発展していったようです。

この文献にあるSrirachaの街の人口の数字は、まだSrirachaが大きくなっていない時期のことを示していますね。
海軍の病院というのは現在のSomdet病院(1902年設立)のことではないかと思われます。
また、Koh Sichang島沖に停泊する船舶の補給をする街としての役割も果たしていたようです。

Bang pra soi(現チョンブリ市)の山側には外国人の居留地があります(*具体的にどこの山かは不明)
※外国人居留地については、別項も参照のこと。

Quoted & Refferd from:

現在のタイの海運事情におけるKoh Sichangの港としての役割について
(歴史的経緯を含む)


現在でもKoh Sichangは港として使われています。
また、錨泊地としてのKoh Sichang島沖は以前と同様に使われています。

しかし、20世紀後半以降、コンテナ大型船が多く使われるようになり、Koh Sichang港の役割は少し変わってきました。



タイの港の状況(1980年代~)

1960年代以降、タイの経済発展にともなって、海外との輸出入が増えてきました。
コンテナによる海上輸送の方法が主流となってきたこともあり、大型コンテナ船が利用できる水深の深海港のニーズが高まりました。その結果、建設されたのがレムチャバン港です(1991年開港)。


海上輸送の変化

1980年代には、当時タイ最大の港であったバンコク港の処理能力がいっぱいになりつつあり、チャオプラヤ川の河川港であったバンコク港は、河口付近の水深が浅く、航路の幅も狭いことなどから、川岸の港へのアプローチに大型船が対応できないという問題がありました。(図: バンコク港の位置)
また、新しい岸壁を作るエリアもないという状況でした。

koh Si Chang
1975年ころのChao Phraya河口の様子。
河口には推進2 m以下となるような浅瀬があり、干潮時には干上がってしまうところも。
河川港に入る手前には浅瀬を浚渫した細い航路がありそこを貨物船が通っていました
それでも水深は数m程度。昨今の大型コンテナ船は入れません。
Title: Gulf of Thailand : mouth of Mae Nam Chao Phraya and Bangkok Bar
Date: 1984-02-01
Collection: Pacific Basin Nautical Charts Owning Institution: UC San Diego, Special Collections and Archives
Public Domain
Source: Calisphere https://calisphere.org/item/ark:/20775/bb16394219/

この問題を解決するためにレムチャバン港が計画されました。同時に鉄道・高速道路・内陸のラッカバンに内陸コンテナ・デポ(空港に近い)も計画されました。バンコク向けや・タイ国内の物流について同時に整備することでレムチャバン港を国際コンテナ輸送の拠点・寄港地となりました(現在も拡張中)
一方のバンコク港は、レムチャバン港ができた後も運用されています。近海航路のコンテナ輸送や国内水運の拠点、および近隣諸国へのコンテナ船寄港地とする機能分担が進められています。
バンコク港の役割はいくつかあり、タイの内陸から、船舶サイズの制限のあるチャオプラヤー川を下って運ばれてきた貨物を小型の貨物船に積み替えてタイ国内・沿岸国に運ぶことや、バンコクで集積された貨物(コンテナ・非コンテナ)をKoh Sichang港で大型の貨物船に積み替えるために運ぶことなどがあります。


Koh Sichang港の役割

バンコク港の水深が8.2mほどで、大型船が入れないことは以前と変わらないため、バンコク港に貨物を運ぶためには、以前と同じようにKoh Sichang港での積み替えが行われています。
バンコク港に集まった貨物をて海外・周辺国等に輸送するために、大型貨物船に乗せ換えることや、
大型船で運ばれた貨物(特にバルク貨物)をタイ国内・沿岸地域に運ぶためにはしけ等に積み替えることなどが行われています。

輸入される貨物は、海外等からの外航船から、Laemchaban港、Bangkok港、Koh Sichangで陸揚げまたは艀・小型船などに積み替えられ、陸路(鉄道・トラック)や小型船などにけん引され、目的地まで輸送されます。
特に、Chao phraya川沿いにある、BangkokやAyuttayaの内陸水路の港にある企業の専用となっているものも多く、Koh Sichagで外洋船から艀に積み替えられ、小型の牽引船にひかれて運び込まれるものが多くあります。
Chao Phraya川などに運び込まれる貨物の多くは、バルク貨物、セメント、米、キャッサバ、石炭、肥料といった"バルク"貨物となっています。これらはKoh Sichang島の沖合などで、貨物船にバージ船・艀を横付けして荷下ろしされます。

輸出される貨物は、輸入貨物と反対の流れになります。輸出貨物は倉庫や生産工場等から、Chao Phraya川の内陸水路の港で艀・バージ船に積み込まれます。これらは、荷揚げ・荷下ろし設備のあるBangkok港やLaemchabang港に曳航されるか、Koh Sichang島で船の横付けで積み替えが行われて、輸出されていきます。
(Koh Sichang島付近でも荷揚げ・荷下ろしができる設備や、コンテナを扱える設備は若干あるようです)

今後のKoh Sichang港がどのようになっていくのかよくわかりませんが(調査中)、現在でも大型の貨物船が艀に貨物を移したりしている光景が見られますし、タイの取扱貨物が増えていて、Laemchabang港が拡張中という状況からみても、まだまだKoh Sichang港の役割は大きいということかと思います。


シラチャ港について(Sriracha harbour pier / Siam port)

余談?ですが、シラチャにも貨物のやり取りをする桟橋があります。
国の管理ではなく民間企業の管理・運営です。 バルク貨物だけでなくコンテナ貨物に対応した桟橋もあります。貨物が船から降ろされた後は、陸上輸送で運ばれることになります。
ますます増加する貨物需要に対して、Koh Sichangでの積み替えとともにLaemchabang港を補完している役割を果たしています。


シラチャ港の詳細(参考)

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    貨物を取り扱う桟橋(Terminal)の数
  • Sriracha harbour 6
  • Kerry Siam seaport 12
  • Siam commercial seaport 1
  • Thaioil Terminal 9
  • Esso terminal 4
  • PTT terminal 7
Quoted:
Pomlaktong, Narong, and Sumet Ongkittikul. "Infrastructure development in thailand."
International Infrastructure Development in Asia: Towards Balanced Regional Development and Integration (2008).

港・錨泊地として


現在(2022)現在の航路の案内によると、Koh Sichang島のすぐ近くは、水深が5.5m程度と浅いために錨泊には適していない範囲があるととされています。
昨今の貨物船(ばら積み船)の吃水(船が水中に沈んでいる深さ)が空荷の状態でも3-4メートルはあるようですから、こういった船は入ってこれないということです。
このエリアから少し離れた従来からのKoh Sichangの錨地は、水深も深いために以前と同様に使われており、レムチャバン港に入る船なども停泊することがあるようです。

以前からKoh Shichangとともに錨泊地とされていたLaem Sommuk付近(Ang hin/Ang sila)はKoh Shichangが悪天候の場合に、小型船舶の錨地として利用できるとされています。
以前はコンテナ船などの大型船舶がなかったため、錨泊地とされていましたが、水深の浅さにより、最近は小型船のみが利用できるということになったのかと思います。




Quoted from:

  • ブログの投稿者: CCC
  • タイトル:  Koh Loyから木材が海運輸送されていたころ <br>  (シラチャ周辺の港湾施設と海上輸送について) koh Si Chang
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