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1968編纂 Topologic chart (1984改定)   路線が分断された時期があった?

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この地図はちょっと悩ましい。 1968年の編纂された地図に、1984年に航空関連の情報を加えて改定されたもの。 線路は、Nong Kho分岐の先で本線+東支線と北東支線の2つの路線に分断されています。 素直に解釈(推定)すれば、本線+東支線は、細々と続けられていた木材輸送等に使われ、東北支線のほうはChonburi Sugar Millのサトウキビ運搬に使われていたということかと思われます。 地図が編纂された1968年の少し前の時期には、こういった状況に線路は置かれていたのかもしれません。 ただし、同じような時期に編纂されたと思われる他の地図では、このような分断状態は示されておらず、実際にこのような状況があったのかもう少し情報が必要です 1970年に発行されたタイの公文書*に書かれている地図では分断されていません

SRJ No.5 の写真??

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Bar kley & Andrew 製のSRJ No5.と思われる写真が見つかりました。  Srimaharacha Companyに来る前の、ボルネオのLabuan島の炭鉱で使われていた頃の写真(絵葉書)と思われます。 はっきりとはNo.5とはわからないのですが、以下のような理由から、おそらくSRJ No.5であると考えています。 SRJ No.5は1904年頃から1911年頃まで、Labuan等の炭鉱で使われていた(1915年ころまでLabuan等に置かれていたらしい) @@ソース Labuan等で使われていた機関車は4台あり、そのうちの1台がBarkley & Andrew製であった@@ソース。 ちなみに残りの3台は、SRJ No.8、No.9、そして No.3である@@ソース 絵葉書の説明によると1900年ごろの写真であるこt0お 写真の機関車と、Srimaharacha Companyで1993年頃放置されていたSRJ No.5の写真(Railasiaより)を比較すると…