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線路があったころの比較的新しい地図 1967年編纂 (1984年印刷) Thailand City Map Amphoe Sriracha

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1967年編纂 (1984年印刷) Thailand City Map Amphoe Sriracha 比較的新しい地図 1967に編纂されたシラチャの地図。 元の全体図リンク  http://nla.gov.au/nla.obj-2940489259 地図中の編纂時期の記述に、 Prepared under the direction of The Royal Thai Survey Department, Thailand. by The Map Division in 1967. Planimetric detail surveyerd plane table survey methods. (Reliability good) とあり、に調査された情報をもとに書かれていて、信頼性が高いということかと思われます。タイの国の機関が発行しているものでもあり、 信頼性…

ページトップの画像について

余談ですが、、、   このブログや、サイトのトップページの一番上にある画像についてです。 背景の植物について  これは ”キャッサバ” の葉です。 キャッサバは、地下に芋ができるのですが、この芋からデンプンを取ることができます。 (タピオカの原料になったりします) この画像を載せているには少しだけ理由があります。 鉄道が敷かれた目的は、木材の運搬にありました。 木材資源が枯渇し始め事業がうまくいかなくなったころには、森林を伐採した後にはサトウキビが植えられ精糖事業が始まりました。鉄道はサトウキビの運搬にも使われました。 その後、鉄道が撤去されたあとには、サトウキビのほかに、パイナップルやキャッサバが植えられるようになりました。  現在も、かつて鉄道がとおっていたところの付近にはキャッサバ畑が広がっていて、写真と同じ葉っぱを見ることができます。 そういう背景があって、キャッサバの写真を機関車の写真と重ねてトップページにしてみました。 蒸気機関車のイラストについて このイラストはフリー素材のイラストを少し加工し…

再び 再塗装 SRJ No.6機関車

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シラチャの公園の近くに置かれているSRJ No.6機関車ですが、  5月に青色に塗装しなおされたことを紹介しました。  シラチャのスカパープ公園近くに置かれているSRJ No.6機関車ですが、 2020年9月になって、再び塗装しなおされました。 (今回もイースタンタワーの住人 さんに写真をいただきました) 今回は緑色になりました。 以前のくすんだ緑色とは異なり、ややVividな緑色です。 以前はどちらかといえば、くすんだコバルトグリーンみたいな色でした。今回はまさに緑という感じ。 SRJ No.6のもともとの色は濃緑色であったので、青色よりはオリジナルに近いということになるでしょうか。 勝手な推測ですが、 さすがに青色の塗装はオリジナルとかけ離れるため、地元の人のクレームでも入ったのでしょうか?  何はともあれ、少しほっとした感じがします。 写真をイースタンタワーの住人さんからいただいておりますので、近日中に写真をアップしようと思います。 色の塗分けはオリジナルとは異なっています。

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1943年 印度調査局(イギリス)による10万分の1地図  この地図はある意味,決定的。 Bangpra支線も含め、線路がはっきりと書かれています。 1:100,000という大縮尺でもあり、線路周辺の地名も詳しく描かれており、線路の通っていた位置もはっきり特定できます。 東支線や南支線のPan Sadek よりも先、北東支線のBoeng Bon(現在の Wat kunchaeやChonburi sugarあたり)より先は描かれていません。 遅くとも元の地図が製作された1923-30年ころまでは、これらの路線は未成であったか、またはこの地図が編纂された際にアップデートされた1943年ころまでに路線が縮小されていたのではないかと考えています。。 (地図の編纂のための調査時期は1923年より前か、改定される少し前と考えられますが、明確ではありません) この地図は1923-24年、1930年のタイ政府(?)が作製した1:50,000地図がもとになっているとあります。 別に示した ”外邦…

道路の線形と名称

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道路の線形と名称 この鉄道のことを調べ始めた頃でしたが、シラチャ周辺の地図を眺めると道路の形(線形)が線路の形じゃないかと思える部分がありました。緩やかなカーブで直線と直線をつないだようなそんな感じの形です。 その後、予想通り線路のあったところが道路になったということがわかるのですが、現在でもその道路の名前に線路であった”名残り”が残っています。 道路の線形と名称 1. Assumption大学 ー Nong kho 貯水池 までの間の道路 2. Khlong yai /Ban Bueng地区 (北東線の東端あたり) 1. Assumption大学 ー Nong kho 貯水池 までの間の道路 鉄道がいち早く敷かれたAssumtion大学からNong Kho貯水池までに間の道路は、地元のタイ人に ถนน รถไฟเก่า(Thanon Rot Fai kao) と呼ばれています。 Thanon というのは“道”、Rot fai というのは “機関車”という意味で、Kaoというのは”古い”という意味です…