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CCC -

1943年 印度調査局(イギリス)による10万分の1地図 

この地図はある意味,決定的。

Bangpra支線も含め、線路がはっきりと書かれています。
1:100,000という大縮尺でもあり、線路周辺の地名も詳しく描かれており、線路の通っていた位置もはっきり特定できます。






東支線や南支線のPan Sadek よりも先、北東支線のBoeng Bon(現在の Wat kunchaeやChonburi sugarあたり)より先は描かれていません。
遅くとも元の地図が製作された1923-30年ころまでは、これらの路線は未成であったか、またはこの地図が編纂された際にアップデートされた1943年ころまでに路線が縮小されていたのではないかと考えています。。
(地図の編纂のための調査時期は1923年より前か、改定される少し前と考えられますが、明確ではありません)


この地図は1923-24年、1930年のタイ政府(?)が作製した1:50,000地図がもとになっているとあります。
別に示した ”外邦図 1:200000 クルンテェープ および チャチョンサヲ(1940年発行)” 地図は1923年のタイ政府が作製した地図をもとにしているとありましたが、おそらく同じ地図をもとにしているものと考えています。 日本陸軍が地図にしたか、印度調査局(イギリス)が地図にしたかの違いかと思います。

この地図には、1945年発行の第2版があります。 シラチャ付近の変更箇所は不明(変わっていない?)。
線路は、Phan Sadekあたりが若干変わっています

1:50,000の地図といえば、1959年に編纂された ”Thailand 1:50,000 Series L708, U.S. Army Map Service, 1959-”があるのですが、インターネット上で入手できるものではタイのBangkok周辺あたり、ちょうど今回の地図のエリアは地図が公開されていません。そのほかのエリアの多くは多くが公開されているにもかかわらずです。
大縮尺の地図は、国によっては軍事上・政治上の理由から公開されていなかったり、当該国以外が地図を公開する場合でも、その国に配慮して公開しない場合があるようです(東北大学の外邦図アーカイブ等の例から日本の場合もこれに該当しているかと思います)


<気になる点・課題>

・ 1923年以前に編纂された1:50,000地図 
・ 上記の地図編纂の際の調査時期。 これはタイの官報や、イギリス・日本の資料での記述などに記述されていないだろうか?
・ 上述、 ”Thailand 1:50,000 Series L708, U.S. Army Map Service, 1959-” のシラチャ周辺分。 これは、今回の地図よりも新しい情報で描かれているはず。 線路の変遷に有力な情報になると思います。 →外邦図をどこかの大学図書館で閲覧しないと見られないかも。


インターネット上では、この地図以上の詳細を示したものは見つからないのでは? と考えてしまいます。



<Bangpra支線について>

1:50,000の大縮尺の地図がもとになっているこの地図にはBangpra支線が明確に描かれています。
Bangpra支線は(これまでのところ)、地図以外の文献にその存在を示す物がなく、本当に存在したのか?ということが引っかかっていました。(Sriracha Lovers Clubの方にも、存在したと思うか? と質問されたこともあります)
この縮尺の地図で線路が間違って書かれるということはないと思われるので、Bangpra支線は存在していたといえるのではないでしょうか。
1923年ころの情報(タイ製の地図)でBangpra支線が描かれているのですから、1923年以前に線路が敷設されていたと考えられます。1908年ころの文献情報では、Bangpra支線の記述はなく、延長計画についても触れられていません。
したがって、1908年から1923年の間に建設されたと考えられます。

注> Bangpra視線については、蒸気の文章を書いた後にいろいろと調査・考察しました。その結果については追って。。。



Siam 1:100,000, Survey of India. Siam 1:100,000 [Dehra Dun?]
National Library of Australia
https://nla.gov.au/nla.obj-1042932492
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