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Koh Loyから木材が海運輸送されていたころ
 (シラチャ周辺の港湾施設と海上輸送について) koh Si Chang

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Srimaharacha Companyで生産された木材等は、Koh Loy島で鉄道から船に積み替えられて輸送されていました。 しかし、Koh Loyの埠頭から直接輸出されたり、タイ国内の目的地に運ばれていたりしていたわけではありませんでした。 シラチャ付近の沿岸は潮の満ち引きも大きく、大型船の吃水では座礁の恐れのある浅い海域だったため、Koh Loyの埠頭には大型の貨物船が接岸することができず、ここから消費地であるバンコクに運ぶことができなかったのです。 バンコク港やタイ各地の港に運ばれる貨物は、一旦Koh Loyの埠頭で小型の船舶・艀に載せられ、シラチャ沖にあるKoh Sichang沖・港まで運ばれました。そこで比較的大きな蒸気船、帆船に再び積み替えられてから各地に運ばれていました。����…

SRJ No. 12 を見つけました!

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2008年頃までPattayaの資材置き場?で保管されていたSRJ  No.12機関車ですが、その後消息が辿れなくなっていました。 あるFacebookの投稿をきっかけに、その消息が分かりました。 タイのRayong県にある Thawapee resort のCafeに置かれていることがわかりました。このCafeはその看板に蒸気機関車のイラストを使っていて、機関車のをのイメージに使っています。  残念ながら、機関車そのものの経緯や歴史については特に示されていません。 このCafeは、あるリゾート施設の一部となっており、タイの旅行サイトなどでリゾート施設が紹介されており、紹介写真の一部にこの機関車を見ることができます。 Calypso Cafe' คาลิปโซ่ คาเฟ่ ระยอง  106/8 ถนนสาย36 ม.7 ต.ทับมา, Rayong, Thailand, 21000  機関車の写真の引用をお願いしています。許可が下りれば画像付きで紹介しますね。

Latviaに渡ったNo.105機関車のその後

Latviaの会社に売却されていたという情報をだいぶ以前に知っていましたが、その後どうなったのか全く情報のないままになっていましたが、 売却先となったと思われるLatviaのGalbeneにあるSIAという鉄道のイベントに No.105 "SIAM"が登場していました。 運用されているような情報をどこかで見た覚えがありましたが、写真を見る限り、どうも運用されていないようです。  このイベントでは線路わきに仮線路を置いて展示されているだけでした。 きちんと保管されているのか、UKで保管されていた時同様車体はきれいなままであり、一安心というところかと思います。 画像の利用承諾が得られたら、紹介したいと思います。

ラブアン島(マレーシア・ボルネオ島)の炭鉱鉄道について(SRJ No.5,8,9)

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SRJ No.5,8 9の3台の機関車がタイに来る前  これらの3台の機関車は、タイに来る前にはマレーシア・ボルネオ島のすぐそばにあるLabuan島の炭鉱と積出港を結ぶ鉄道で使われていました。 その鉄道と背景について記します。 ラブアン島は現在ボルネオ島(カリマンタン島)のマレーシア領にあるそばにある小さな島です。 11世紀ごろから洋上交易の拠点として栄え、19世紀になるとオランダ、イギリスなどの洋上交易の拠点としても栄えていました。 1846年に当時ボルネオ島を支配していたブルネイからイギリスに割譲され、イギリスの直轄植民地がおかれることになりました(1948年) 海運における船舶の停泊、あるいは商業上のメリットがあると考えられたこともあり、港が整備されました(Victoria 港)。 Lab…

Srimaharacha Companyを舞台にした小説   "รางเหล็กในป่าลึก"

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Srimaharacha Companyをまさに舞台にした小説があります。 タイトルを日本語にすると、”深い森の中の線路” といったところです。 この本の紹介情報によると、 東部の深い森林地帯に木材を運ぶ線路を建設する歴史を題材とした小説のようです。 小説ですので必ずしも本当のことばかりが描かれているわけではないと思いますが、 当時の状況の理解を助ける内容が描かれていると思います。 タイ語で書かれており、内容をすべて把握するところまではいっていませんが、いずれ読破します ちなみにこの本はタイ滞在時に見かけていましたが、当時はタイ語の書籍ということで…

シラチャを含むタイ東部地域の経済発展と社会背景(第2次大戦後)

WW2戦後の社会背景 ここでは、第2次大戦(WW2)以後のシラチャの発展とSrimaharacha Companyの置かれた状況に密接に関連する、タイの社会背景、経済の発展について記します。 WW2戦後の状況(冷戦とアメリカ軍) 戦後、米ソの冷戦状態に入り、米国を中心とした資本主義勢力は社会主義勢力の東南アジアへの拡大を抑えるとともに、資本主義経済の回復を目指すようになりました。この動きの中で米国はタイの政府の政策に影響を与え続け、タイはそれに沿った形で政策をすすめていきました。 ベトナム戦争がはじまると、タイも資本主義陣営の一員として参戦することになり、同時に米国の7つの軍事基地がタイ国内におかれました。 Rayongにあるウタパオ空港には空軍の基地建設のための設備が搬入され、1958年4月にはDon Mueang空港を基地として最初の米軍の部隊がおかれました。 タイ経済の発展 WW2大戦後、タイは世界銀行の指導の下で社会経済の発展を目指しました。 第1次経済開発計画 世界銀行の提案に基づいて…

線路があったころの比較的新しい地図 1967年編纂 (1984年印刷) Thailand City Map Amphoe Sriracha

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1967年編纂 (1984年印刷) Thailand City Map Amphoe Sriracha 比較的新しい地図 1967に編纂されたシラチャの地図。 元の全体図リンク  http://nla.gov.au/nla.obj-2940489259 地図中の編纂時期の記述に、 Prepared under the direction of The Royal Thai Survey Department, Thailand. by The Map Division in 1967. Planimetric detail surveyerd plane table survey methods. (Reliability good) とあり、に調査された情報をもとに書かれていて、信頼性が高いということかと思われます。タイの国の機関が発行しているものでもあり、 信頼性…