もしかすると、SRJの痕跡がまた消えようとしているのかもしれません。
私が、SRJの痕跡が”明らか”に残っている唯一のものと思っているものがあります。
それはNong Kho貯水池の近くにある工場の跡地で、Srimaharacha Companyが製材業をやめた後にマットレス工場(今は閉鎖)としていたところです。
機関車が走っていたころは、この近くにTapkobut駅がありました。
ここには現在(2019/9)でも工場だった建物が残っており、その正門の門柱には、タイ語で Srimaharacha 有限会社 と書かれています。
”明らか”な痕跡というのは、この正門の扉にある”SRJ”と書かれたマークです。
機関車が走っていたころは、この近くにTapkobut駅がありました。
ここには現在(2019/9)でも工場だった建物が残っており、その正門の門柱には、タイ語で Srimaharacha 有限会社 と書かれています。
”明らか”な痕跡というのは、この正門の扉にある”SRJ”と書かれたマークです。
2016年末に訪れた際の写真 |
門扉にはSRJのマークがある |
2018年8月ころの様子 (Sriracha Lovers ClubのFacebookより引用) Sriracha lovers club: http://www.konruksriracha.in.th |
Sep. 2019 のSriracha Lovers clubの情報によると、この場所の状況に変化があったようです。
以前はあった門扉周りの塀がなくなっており、タイ語の看板が立てられています。
タイ陸軍の第11歩兵旅団の軍用地 というようなことが書かれています。
どういった経緯なのかなど不明ですが、この場所
になにか変化がありそうです。
陸軍の使う用地と書かれたを看板が立てられています |
この工場跡地内にはSRJの創業者のChao Phraya Surasak Montriの銅像が建てられています。
Sriracha Loverはこの銅像をシラチャ市内に移設しようとしています。
Sriracha Loverはこの銅像をシラチャ市内に移設しようとしています。
銅像を管理する人も少なくなっていることなどから、Koh loy公園 (スカパープ公園/Surasak Montri Park)近くに移転する検討をしており、軍関係者と協議しているようです。
この移設が、軍用地の看板と関連があるかどうかは不明ですが、もしかすると、建物や、門扉などSRJの痕跡が撤去されてしまうのではないかと、少し心配しています。
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