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5月, 2019の投稿を表示しています すべて表示

ちょっと変わったところからの地図

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この地図は他とは少し違うところから引用しています。 普通の地図ではなくある論文からの引用です。  この論文は、Sriracha地区の植物の状況について調査されたものですが、この鉄道についても記述があります。 この植物の調査は鉄道に沿って実施されたようですが、この時点ですでに主だった線路は未舗装道路になっていたようです。 。 植物の植生を示す図の中に線路が描かれており、Nong Kho分岐付近が示されています。 線路の記述そのものはたいした内容ではないですが、森林伐採と鉄道の関連や、その後の鉄道および付近の環境変化については興味深い情報があります。 製材所が森林伐採を放棄した1970年後半には、すっかり森林や野生植物は少なくなり畑や市街化が進んだ様子がわかります。 本文中では線路がKhao Khieo山とKhao Chomphu山の間を通っていることが描かれています。その部分を引用すると(筆…

駅のあった場所

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(作成中) 駅のあった場所についてです 7つの駅が存在しました。 Konruksrirachaが発行した Konruksriracha Calender 2019の情報などを元に、現在の地名から推測しています。 (Sriracha駅のみほぼ場所は特定しています) 駅名とその由来等は以下のとおり。 (1) Sriracha Station 製材所の裏、約50mほどのところ。(筆者注: 写真の2本並んだ煙突の位置と大きな木の位置、および線路の位置関係から推定すると、Sukumwit通りに近い位置と思われます ※ Calender Mayの写真 (2) Cherm Station  เจิม 公式にはNong Yai Bu 駅。もともとの地名から命名。のちに改められた。 Chermとは祈願というような意味。 具体的な駅の場所は今のところ不明。Wat Khruea Satthatham あたりか? (古くからあるお寺なので、このあたりかという予想。明確な根拠なし) (3) Chom Phon Sta…

地図に関して

”地図でたどる線路の変遷” で調べたことからわかったことなど <地図に関して> 今回色々と調べて行く中でiさまざまな地図や航空写真を探し出して、線路が引かれていたところの変遷を辿っていきました。 結局のところ、地図を古いものから新しいものへと辿っていくだけでは、線路がどのように延伸されていったのかわかりませんでした。 年代を追って地図を追っていけば、線路の延伸の経緯がわかると考えたのですが、だめでした。 その原因のひとつは地図のアップデートが期待したほど頻繁でなく、タイムリーに実際を反映したものではないということでした。 当時の地図の編纂というのが、従来の地図の焼き直しであったり、過去の地図を元に若干の編集を加えただけで、新たな地図として発行されることが多かったようです。 必ずしも最新の情報を反映させて、毎回新たに地図を編纂・発行するというわけではないということです。 航空測量が確立されていなかった当時の地図の測量・編纂についての書籍を読むと、地図作成のための測量や編纂作業というのは…